★瑠韻の書架(2003年2月)★

★瑠韻の書架〜Ruin's Bookcase〜★(2003年2月)

 このページには、暇を見つけて読書メモを綴っていく予定です。
 紙媒体の「本」だけでなく、ネット上のテキストも含める方向で。

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 [2003/02/28]

 『ブッシュ妄言録』

 まるで『すごいよ!マサルさん』を読んでるような錯覚に襲われた。
 こーゆー人を大統領にしてしまう国って……正直ヤバすぎ。

 書店の軒先で15分もあれば完読できるので、話のタネに是非どうぞ。

 『19ボックス 新みすてり創世記』

 短編そのものや作者の創作観は嫌いじゃないんだけど……、作中の自画自賛だけは勘弁。

 あすかコミックスDX『エキストラ・ジョーカー』、買っちまいました。
 小説で読むよりは時間の節約になるだろう……という、無駄な抵抗。

 激しく美形揃い……こりゃ確かに人気出るわけだ。これから読みます。

 ところで『コズミック』という書名を最初に見たとき、まず連想したのはクトゥルー神話、そしてTRPG『クトゥルフの呼び声』だったんですが……、要するにコズミックホラーだと思ってしまったのは、あながち的外れでもなかったようで。
 1冊読む&買うたびに正気度がギュンギュン減っていくのを実感していく、危険な今日この頃。

 ………………

 音夢たんハァハァ(´Д`;) (駄目すぎ)


 [2003/02/27]

 行きつけの図書館の中庭に、全高20mほどの「積ん読タワー」オブジェが築かれてることに、昨日初めて気がつきました……。

>御子柴 華耶さん

>「ダブルダウン勘繰郎」の為に「コズミック」「ジョーカー」を読んでいる人がいるに違いないが
>何か、西尾維新に流されて売れるのが何か物悲しい。

 ごめんなさい、思いっきり流されてます……(苦笑)。
 同サイト「仮想心理密室」の2月26日ログ(無題ですが「流水大説のガイドライン」ですよね?)も必見デス。


 [2003/02/26] つらつらと思ったコトを書き連ねてみるテスト。

 同じ本に対する書評の衝突とか、所謂「セカイ系」に関する議論とかって、ある意味では本そのものの評価じゃなくて、それを読んでる「自分」同士の価値観を巡る代理戦争だったりするんですよね。
 自分が好きな本をけなされるとムキになって反論したり、駄作だと思ってる本をベタ褒めしてる人には噛みつきたくなったり。本に限らず、映画とかゲームとかでも。自分でも似たようなコトした憶えがあるだけに、そういう論争を見ると微妙に思います。

 この手の論議を眺めてると、たくさん本を読んでて理論武装がシッカリしてる人の話になればなるほど、専門用語だらけになって他人には話が理解できなくなったり、或いは本に影響されすぎて観念論に突入しちゃったりすることも少なくなかったり。
 かと言って、ろくに本を読んでない俺みたいな人間が生兵法で議論に参加すると、胡乱で穴だらけの話しかできなかったりするワケですが。
 高位の理論や理念や知識をしっかり身につけた上で、それを誰にでも分かりやすく説明できる人になりたいです。

 それはさておき、「セカイ系」に分類されるらしい『ブギーポップ』の話を少々。

 このシリーズは割と「閉塞的なセカイの物語」的な扱いを受けてるらしいんだけど、その理由の一つは……第1巻で暫定的に(時間軸的な)ゴールラインが示され、それよりも過去に位置する続刊でどんな事件が起ころうとも大局に影響のないことが分かってしまっているからだそうな。
 「現状維持」や「平和維持」で満足するのもアウト(閉塞的とみなされる)?

 ブギポ以前にありがちだった異能者学園バトル物の漫画や小説みたいなパターンなら、「MPLSとして覚醒した少年少女たちが苦難を乗り越えて集結し、統和機構に戦いを挑む」みたいなノリで大河ドラマ的に話のスケールが大きくなっていくのだけれど。
 でもって、そういう『幻魔大戦』とか『七瀬ふたたび』的な展開を期待してる人は、割と少なくないように見えるのだけれど。
 そんな大きな流れが仮にあってもなくても、実は『ブギーポップ』シリーズの本質には大した影響がないんじゃないか?と思う。

 「何が起こっても無事に収拾されてしまうことが確定している物語世界」というのも、確かに閉塞的かもしれないけれど……まったく逆の意味で、あの作品内世界には行き詰まりが見えている。
 世界観が繋がってる『冥王と獣のダンス』や『ナイトウォッチ』シリーズを読めば、ブギーポップの世界に待ちうける無残で屈辱的な未来史を知って、たぶん愕然とするだろうし。

 それでも、ブギポの世界の主人公たちも、「虚空牙」襲来後の人間たちも、案外しぶとくしたたかに楽しく生きているワケで。
 「どんなに世界が重苦しくて、暗い未来しか見えないとしても、とにかく『今』を全力で前向きに楽しんで生きていこう」っていうのが、上遠野作品から自分なりに読み取ったメッセージなんだけど。
 これって単純すぎる……かなぁ?


 [2003/02/25]

 『コズミック 世紀末探偵神話』

 あーだこーだ言って回避するような素振りを見せつつも、結局読んじゃいました。

 感想:吐血。

 文章的には今まで読んだ中で一番マトモじゃん、というのが正直な感想。
 あくまで『みすてりあるキャラねっと』や『エル』と比べて、の話だけど。
 『密室16』の郁夜×千鳥には、不覚にも萌えてしまったし……。

 ミステリとしては明らかに壁本
 「密室連続殺人」の驚天動地な真相には度肝を抜かれたけれど、冷静に考えれば考えるほど心理的な部分で説明がつかないのが致命的。
 どう見ても死ぬはずのない人間がアッサリ死にすぎてる、というか。
 それに『エル』の時も同じことを思ったけど、あれだけ大規模なトリックであれば、「共犯者」からの情報漏れを防ぐのは不可能じゃないかと。

 やや変形した例で、『みすてりあるキャラねっと』の場合は犯行「場所」がトリックの成立を可能にしている反面、どう考えても目撃者を排して犯行を「実行」するのは不可能だっていうケースがあった。
 そもそも連続「デリキャラ」事件は本物の「殺人」ではないから、通常の殺人のように「口封じ」を行おうとしても「被害者」のプレイヤーが生き残り、捜査に介入してくるから逆効果だってコトも見落としてるっぽいし。
 いずれのケースにしても、御大には自分が創造した「物語」や「トリック」っていうハリボテの内側しか見えてないんじゃないかな?と思う。

 ……とか言いつつ、「面白かったかどうか」の二択で言えば「面白かった」という答えを選んでしまうのだけれど。悔しいことに。(笑)
 やっぱり「JDC」(=日本探偵倶楽部。数百人規模の名探偵集団)っていう設定を思いついた時点で勝利なんだろうか。
 「100%の確率で推理を外す迷探偵」ピラミッド水野の設定には舌を巻いたし、西尾維新の『ダブルダウン勘繰郎』は素直に楽しみ。

 最後に蛇足。
 約700ページ中、序盤1/3にあたる280ページあまりには19件の密室連続殺人が、まったく解決されないまま延々と羅列される……という、これまた凄い構成になっているのだけれど。
 これが不思議なことに、読んでて飽きなかった。
 人生を「密室」に喩えたモノローグが随所に挿入され、被害者たちの人間模様が短いなりにも多彩に描かれていて。特に密室16とか。(←かなり気に入ってるらしい)

 もしかしたら、殺人犯も名探偵も登場しない「密室小説」なんてのもアリ、かも知れない。きっとミステリとは呼べないのだろうけど。


 [2003/02/23]

 『動物化するポストモダン』

 某サイトの影響で、遅まきながら購入。
 ……読みながら何度も吠えたり唸ったり。

 ひとつだけの理論や思想で世の中すべてを説明できるとは思わない。
 例外や反証や異なる理論の下に動く事象も山ほどあるから。
 ……それでも、やはり、一つの思想を体系だてて一冊の本に仕上げるには、並ならぬ調査と分析と考察が必要なワケで。
 たとえばネット上を見渡してみれば『動物化するポストモダン』へのツッコミや反論は幾らでも見つけられるけれど、それらの書き手の中でどれだけの人数が独力で、1冊の本に相当する体系的な論考を発表できるだろうか。
 結局のところ、それがプロとアマを隔てる大きな違いなのだと思う。

 ……と前置きしたうえで、敢えてツッコミめいた文章を。(笑)

 この本を実際に読むまでは、「動物化」=何も考えることなく脊髄反射で「萌え要素」に反応すること、だと思っていたのだけれど。
 実際には大違いで、「自分の欲求を満たすために他者の存在を必要としない」のが「動物的」の意味なのだとか。
 これってオタク全員には該当しないんじゃないかなぁ?……というのが、正直な感想。

 この本によれば、「動物化したオタクが人付き合いを必要とするのは、情報収集のためにすぎない」と主張されているんだけれど……、
 自分の経験に照らしてみれば、そうじゃない人(自分がオタクとしてのアイデンティティを保ちつづけるために、他者の目を必要とする人たち)も大勢いる
 そして、そういう人たちの方が色々と厄介だったりする。
 なぜなら彼らは、純粋に趣味の対象=「ネタ」を愛しているというよりは、自分自身が「私はこれこれこういうモノが好きな人間ですよ」とアピールし、他者の注目や賞賛を浴びることによって、自己顕示欲を満たそうとする傾向があるから。

 現代のオタク的流行が「データベース消費」であり、あらゆる商品(作品・二次創作・キャラグッズ等)は「萌え要素」のサンプリングから成り立っている、という本書の分析は的を射ているのだけれど。
 それと共鳴するような形で、消費者の側が自らに「自分が好きな『萌え要素』」をテクスチャー(貼りつけ)し、自分自身の肩書きにしてしまうという傾向も、また憂慮すべき問題なのではないか?……と思うのだ。

 決して特定の誰かや特定の属性持ちの人に恨みがあるワケじゃないけれど、たとえば……「幼女萌え」とか「メガネっ娘萌え」とかいう属性の人がいるとして。
 その嗜好が純粋に個人の好みとして機能しているうちは、別に問題はないし構わないと思う。けれど、人によっては自分が「幼女萌え」とか「メガネっ娘萌え」である、という(オタクの知り合いに対する、自分自身の)パブリックイメージを重視するあまり、そういう属性を持ったキャラには無差別に飛びつく(あるいは飛びつかざるをえない)という、何だか首を傾げてしまうような「半ば自棄ぎみな萌え方」をする場合もあったりする
 そんな具合に、無意識にせよ意識的にせよ、自分の「属性」や「好きなモノ」を語ることでしか「自分自身」をアピールできない人も、少なからず存在するわけで。

 そーゆー人たちにとっては、自分の話を聞いて(読んで)、一目置いてくれる「他人」という存在が必要であるわけで。
 つまり「動物的」=「欲求充足のために他者を必要としない」と定義されるなら、オタク社会は「動物化」だけでは説明しきれない、ということ。

 個人的には、オタクが純粋に「趣味」を語れなくなって、本人も無自覚のままプライドを満たすために「趣味」を利用するようになり、しまいにはプライドや面子を巡って他人と衝突してコミュニティを壊す過程を何度も見てきているので、かなり歯痒い思いもあるのだけれど。

 ……とかいう愚痴はさておき、『動物化するポストモダン』に話を戻せば。
 「萌え要素」=「記号化されデータベースに還元されるメディア」は、決して美少女系の作品に限った話ではなく、ミステリにも同じ原理が適用される……という話には、目から鱗が落ちる思いだった。
 それにしても、この本といい『キャラクター小説の作り方』(大塚英志、講談社現代新書)といい、むやみに清涼院流水を褒めてるのは、何かのワナですか?

 と思ったら……(下に続く)

 『コズミック 世紀末探偵神話』

 3月5日に西尾維新のJDCトリビュート 『ダブルダウン勘繰郎』が出るっていうんで、腹をくくって購入。
 前掲の『動物化するポストモダン』や『キャラクター小説の作り方』によれば、「名探偵」や「密室」という(ミステリにおける)「萌え要素」を過剰といえるほどに詰め込んだ「データベース消費型」小説であり、また徹底的に記号化した手法で書くことにより逆説的にリアリティを生み出した新世代の作品と解釈されてるようだけど。……要は、今までの常識に基づいた読み方は通用しないってコトですか?
 千影ちゃんの占いがバッチリ的中してしまった、そんな自分はA型デス。(苦笑)


 [2003/02/08]

 『ユウ 日本国民全員参加テレビ新企画 』

 だいぶ間が空いたけど、ようやく読めたので紹介。
 ……不覚にも面白かった。

 『みすてりあるキャラねっと』や『エル』を読んでいて何が不満だったかといえば、背景世界やトリックの粗さや御都合主義よりも、主人公の語り口がぜんぜん中学生っぽくないことだった。
 やけに世ズレしててヒネた物の見方してて、おまけに書き言葉で考えたり喋ったりするし。その辺が、凍ったジャガイモを齧るような違和感につながっていたのだと思う。

 で、『ユウ』の場合。
 文体や語り口はほとんど変わってない。それなのにスラスラ読めた。
 なぜなら、主人公が大学生になってるから。
 ……ただ、ひねくれた見方をすれば、もっと年上の人間を主役にして物を書くときも同じような視点と描写になってしまうんだろうか?……などと、余計な心配も浮かんでしまったりする。

 ストーリーやトリックの出来や説得力は、まぁ納得できる範囲。
 あくまで前作『エル』を全部読んで我慢できる人なら、という但し書き付きだけど。
 ただしあとがきの「前作を読んでなくても問題なし」というのは大ウソで、少なくとも『エル』を読んで主人公の木村彰一と「黒幕」の性格を把握していなければ何が何やらという感じだろう。
 つーか、途中で「あいつが絡んでるなら仕方ねーな」と達観ぎみになったから、無理なく読めたのかもしれない。

 ここまで茶化しぎみな感想になってしまったけれど、『ユウ』を読んで初めて、御大の作品に感服したのは、紛れもない事実。
 『ユウ』の真価はミステリ部分ではなく、作者の人間観察の細かさにあると思う。
 ストーリーテラーとしての御大は、明らかに「黒幕」と同じ視点に立っていて、物語中の一切合財を自分の手の中で踊らせ操る自信家で、あくまで本人の中ではすべての状況が理想的に自己完結している……という傾向が見られるのだけれど。
 と同時に、木村彰一のような気弱で周囲に流されるタイプの人間を描写するのが異常に巧いという、意外な面も見られる。
 また、後半に出てくる「人間CM」のパターンは、よくぞここまで考えた……というほど「自己アピールのバリエーション」や「見る者・見られる者の心理」を多彩な形で表現している
「この『ユウ』こそ、清涼院流水の他の作品を圧倒するベスト作である」という作者の言には、激しく同意。

 これはもはやミステリではない!(笑)


 [2003/02/07]

 『偽書作家列伝』(学研M文庫)

 不覚にも前書きが一番面白かった。
 似たような発想って、昔からあるんだなぁ……。(謎


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